ある夢想家のジレンマ

転がるか、留まるか、それが問題だ。

自分の発達障害(ADHD)を疑った日

昨日、客先に誤った日付でアポイントのメールを送ってしまった。昔からケアレスミスは多いし、整理整頓やスケジュール管理は苦手。付き合いの浅い人からは、見た目からは全然分からないなどと言われるけれど、自分の部屋は床が見えないほどに 散らかっている。毎週のように忘れ物やなくしものをしていて、今週は電車の定期券をなくして探していた。

自分は能力がないと過剰に思い込んでいるせいか、会社の上司には「なんでそんなに自信がないんだ」、「俺がお前ぐらいのときにはもっとしっかりしていたぞ」と言われてしまう。

これが自分の性格であって、努力が足りないからだと思っていたけれど、対処法をWEBで検索したときに発達障害のサイトにたどり着いた。僕はメンタルが弱く、すぐに逃げるための理由を探してしまう。そんな自分が嫌なので、自分が発達障害かもしれないとは思わないようにしてきた。

そうやって仕事を続けてきたけれど、苦しさをごまかしながらやり過ごしていくのも難しいかなと思い始めている。最近は、技術的な業務遂行能力よりも、対人関係能力や概念化能力といったマネジメントスキルを求められる割合が大きくなってきた。このまま根性論で突き進んでいった場合、あと 何回自分の限界を超えないといけないのか、と思うと怖くなった。

根本的な問題解決をしなければならないと思い、カウンセリングを受けることに決めた。まずは、小中学校の通信簿を送って欲しいと母に連絡した。通信簿を確認する理由は、第三者である教師のコメントをもとに、児童期の自分の状態を客観的に把握することができるからだ 。

すると母親は、通信簿に書かれていた教師からのコメントを内容をSMSで送ってきた。それも、通信簿を見ることなく、次々と送ってくるのである。

「教室移動のとき、いつも一番最後まで残っています。素早く移動できるように頑張りましょう」
「片付けが苦手なようです。2学期は、頑張ってきれいにしましょう。」
「少し落ち着きがないようです。じっくり物事に取り組めたらいいですね。」
「ひらがなが、正確に覚えられていないようです。夏休みには、おうちで練習しましょう。」
「踊りがすきないようです。みんなの前で、パフォーマンスをしてよろこばせていました。」

「…」

よくもまあ次々と出てくるなと感心した。自分が発達障害のまま大人になったのではないかと心配していることを告げると、子供の頃の話をしてくれた。

「みんなと違ったようにみえた。」
「担任の先生によく相談に行った。」
「先生からはそれが彼の個性だから、見守ってあげましょうと言われた。」
「伸ばしてあげられんかったね。ごめんね。」

最後の一言に、不覚にも涙を止められなかった。母は続けてこう言った。

「きっと発達障害ではないよ」
「誰にでも大なり小なり、あるんとちがうの?」
「気にせんこと。それが、一番」

普段は頼りなさそうに見える母だが、あらためて母親というものの大きさに気付かされ、そして感謝の気持ちがあふれた瞬間だった。

しかし、彼女の言うとおりに気にせず暮らしてまうことはできない。きっと彼女の言うとおり、発達障害ADHD)ではないのだろう。それでも子供の頃から抱えているこの生きづらさの正体を確かめなくては、このまま進んで行くことはできない。

母が通信簿を送ってくれたら、カウンセリングを受けにいこう。